Slow life, Perth life
by shania2004
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カテゴリ:Thoughts( 58 )
::: representing gender :::
男女の象徴として上げられるものの多くはステレオタイプがもたらした結果に過ぎないことが多い。そもそも、日本では、ほかの先進諸国とは違い、男女別姓がまだ認められていない。そしてテレビをつければ、男性の力を誇示するようなイメージがいまだにあふれている。女は「女らしく」家で子供の面倒をみて、男は「男らしく」家庭を顧みずに仕事に精を出す。男に勝るように仕事に生きる女もたくさんいるという事実を無視し、そして子育てに生きがいを感じる男がいる存在さえ同様に片付ける。「出た釘は打たれる」ということわざのごとく、日本では異なるものを排除していく国民性が背後に見え隠れしているのだ。

人はそれぞれ異なっていて当然のこと。生まれてきた国も違えば、育ってきた環境もそして両親も違うのだ。その個々の「異」を寛容に受け止める姿勢を持つ事で、また一つ視野を広げ、大きな人間となりうる事が出来るものではないのだろうか。

いったいステレオタイプがもたらしたイメージにどれだけの人間が違和感を覚えているのだろうか。「女らしさ」のイメージはあくまでも第三者の象徴である。そして「男らしさ」もまたそれである。この第三者の象徴に自分を無理やり当てはめる事は無い。

自分らしく生きる事で真の「幸福」を得られるものなのだ。それは「身勝手」とも「わがまま」でも「自分勝手」でもない。「Yes・No」をきちんといえることであり、自分が欲しいもの、欲しくないものを「損得」や「様々な感情」を抜きにきちんと伝えられる事なのだ。

「自分らしく」という中には「男」も「女」も存在しない。そこはいってみれば「性」を抜きにした世界に存在しているのだ。

「性」のイメージだけにとらわれて「自分」を失わないで欲しいと常日ごろ思う毎日である。
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by shania2004 | 2005-01-10 23:04 | Thoughts
::: 人生の展開 :::
人の人生なんて、予想できないものの塊では無いだろうか。だからこそ色々なことが意味を成してくる。そして意味を成すもの全てが無意味となりうるものなのである。
様々な変化を前向きに受け止められなくなったとき、人は自身に宿る力に負けてしまう。それが一見悪い事であろうとも、マイナスにマイナスをかければ大きなプラスになりうるのだ。

転職、移動、結婚、離婚、リストラなどなど、色々な言葉の裏にはプラスなりマイナスなりが見え隠れするものだ。ただ、変化があったからといって、人間終わりになったわけではない。食べ物を食べる事もできれば、寝るところだってあるはずだ。太陽は万人に公平に光を当てている。そして時間もだれにとっても一日24時間あるのだ。

様々な変化を恐れ、同じものに固執してはいけない。
人は変化する事で大きく成長するものなのだから。

怖い事なんて何も無い。な~に、状況が変わるだけで、人に殺されるわけでもないんだから。それよりも色々なものやことをプラスに受け止めていけるようがんばってみようではないか!

様々な事をプラスに変えたとき、人はまた一つ難しいレッスンをクリアーしたことになるのではないだろうか。
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by shania2004 | 2005-01-09 23:54 | Thoughts
::: 新年の抱負 :::
【2005年抱負】

「自分に正直に、人生を満喫すること」

言い換えれば、Noといえるようになること。そして、ありがとう、ごめんなさいがきちんといえるようになること。

今年は個展に帰国、いろいろとある。Do my bestでがんばろう!
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by shania2004 | 2005-01-01 02:19 | Thoughts
::: 40までの夢 :::
こうして言葉にするとなんだか自分も歳を取ったな~。ま、それはおいといて。
40までにバイクの免許を取ろうと思っている。そしてバイクも購入。これが私の40までに実現する夢。車は大きすぎるし、ましてや、運転は好きではない。でも、バイクなら、ちゃりの延長で乗れそうな気がするのだ。
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by shania2004 | 2004-12-25 11:40 | Thoughts
::: 当たり前ということ :::
「当たり前」という言葉がある。
これは、主に、生まれ育った環境が作り上げてきた世界での基準が元となっており、あくまでも万人に当てはまるわけではない。一般的に「常識」や「非常識」などで判断される事が多い。

さて、先日、日本人の友達とお昼を食べに行ったときのことである。この友達は、パースの大学を出て、フルタイムの仕事が見つかり、月曜~金曜、朝から晩まで働くことはや4ヶ月がたった。家に帰っても、自分を待っている人がいるわけでもなく、休みの日といえば、疲れてしまって、遊びに出ることも億劫になるというのだ。そんな生活を続けていて「日本では大学を出て、仕事について生活していく事は当たり前のことなのに、何でこんなんなんだろう」と思うことがあるという。

以前に生活と仕事の比率の話をしたが、この友達の場合、その比率がまだ分からないといっていた。つまり、自分にはあっていない比率で仕事をしていると思うのだ。このまま続けていたら、体をや心を壊す事にもなりかねないので、心配だ。

私の場合、仕事30%自分の時間70%が一番いい。この比率はおそらくそのときの自分によっても変わるのだろうが、今の時点では心地いい割合だ。ストレスもたまらず、そしてたのしく生活する事もできる。

どうか「当たり前」ということに惑わされず、自分らしい生き方を見つけていってほしいものである。
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by shania2004 | 2004-12-19 15:15 | Thoughts
::: 離人症 :::
【離人症とは】

離人症(離人・現実感喪失症候群:F48.1)

解離状態に関連して、離人(神経)症とよばれる状態がある。本人の意思や記憶は保たれ、
判断力、理解力も障害されていない。
しかし自分が考え、感じ、行動しているという実感がなく、そのことに対して本人は違和感をおぼえ、強い苦痛を訴える。

たとえば美しい景色と知りながら美しいという感じが、なつかしい人に会ってもなつかしいさが、悲しむべき出来事を理解しながら悲しさが、心に湧いてこない。

また周囲の状況に即して行動しながら、自分が行動しているという感覚がもてない。

しばしば身体感覚も失われ、頭の重さが感じられず、空腹感や尿意も便意もなく、
時計をみて食事をとり、トイレにいく。

この病気の分類には論議があり、米国の DSM (米国の精神医学会が作った「診断と統計のマニュアル」)は解離障害にふくめるが、ICD-10 (国際疾患分類第10回改定版)は、
記憶や後期の感覚・運動障害がみとめられないことから、独立の小項目 (F48.1) に分類している。

困難な生活状況のなかで極限まで努力しているときに、突然発現することが多い。
比較的稀な病型で、「実感がない」という、あいまいな訴えから、安易に診断してはならない。
またうつ病や統合失調症にも類似の症状がみられるので、慎重な鑑別診断が必要である。

(山下格著『精神医学ハンドブック第4版』 36-37頁、日本評論社、2002年)


【私の場合】

発症は19歳のとき、トリガーとなったのは、ニュージーランド留学から帰国し、すぐに実家を出て東京で就職したこと。定義のとおり、自分ではない感覚が襲ってくる。会話をしていて、顔では笑っていても、心では全然面白くなかったり、綺麗なものを見ても、感動すらしなかったり。そして一番怖かったのは、会社にいく自分は空気の上を歩いているようで、生きているという感覚が喪失していた。
ただ、自分自身では通常通りの生活を出来ていたため特に気にせずに過ごしてしまった。症状は「耐えられない状況」で起こり、それ以外では軽くなる。まったくもって、勝手な症状だが、自分自身を守るにはこの方法しかなかったのだろう。
25歳になるまで、時折症状が現れた。治癒のきっかけになったのは、再度、日本を出たこと。そして、自分自身を見つめ、理解する時間が増えた事。「自分に正直に生きる」ということをモットーにして、いやなことは最初からしない。好きな事を続けるということの大切さを学んだ。
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by shania2004 | 2004-12-17 08:04 | Thoughts
::: 人間の生き方にも大掃除が必要! :::
年に1回、日本人であれば、年末に大掃除をする習慣がある。

(ちなみに、余談だが、こちらオーストラリアではそんな習慣はない。似ているものではSpring Cleaningとかいって、春先にいらんもんを捨てたり、掃除をしたりするのだ。)

それと同じように、人の人生でも大掃除が必要なときが必ずある。あまりにも長くほうっておくと、自分自身が埃まみれになるから大変だ。そしてしみになり、いずれは落ちにくくなる。

綺麗にしなければならないのは、大抵人間関係だろう。極力掃除をしないでもいいように勤めているのだが、それでもやはり出てくるものなのだ。

いつも心にしみになっているように、残っていること、そして引っかかっていることなどは、せめて1年に一回はきれいに精算するなり、掃除をするなりしておくことをおすすめしたい。

大掃除は物だけでなく、人の心にも、人間関係にも、そして様々なものにも必要なものだ。それをしてこそ、また新しいものを吸収できる余裕が人間に生まれてくるのだろう。
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by shania2004 | 2004-12-02 22:42 | Thoughts
::: 友達とは!? :::
先日、しばらく絶交されていた友達から、久々に連絡があり、今日会うことになった。
メールが来たときは、本当にうれしくて、泣いてしまった。

結局、人生は短いし、いがみ合ったり、憎み合ったりしていても、なにもプラスには向かわないし、時間とエネルギーの無駄なだけなのだ。

あんなに、けんかをしたのに、何も無かったように、いろんな話を出来たのは、ものすごくよかったと思う。彼が成長したのだ。私の彼に対するスタンスは変わらない。
ただ、間違っていた事は認める。彼をどうにか変えようと努力してしまった事だ。
そもそも、それが原因だったと思う。

人は変わるものだ。それが自然の流れだ。ただ、人を変えることは出来ない。本人にしかそれを変える力は持っていないからだ。自然の流れに逆らえば、そりゃ~問題もおきて当然なのだ!友達だろうが、親だろうが、恋人だろうが、変えようとしてはいけないのだ。
人が変わるのを待つか、自分が変わるか、それぞれ違う道を行くかのいずれか。

結局、この友達とも、それぞれ違う道をいったのだが、今日、こうして友達として合えたのは本当にいいことだったと思う。
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by shania2004 | 2004-12-01 22:25 | Thoughts
::: Noの哲学 :::
なんじゃこのタイトル、と思っている方、多いかも。そう、Noというにも哲学が存在すると思うのだ。(私流だが・・・。)

まず、なににNoというべきか。「NO」を知ることが大事だ。

自分の中には相反する、二つが存在している。それは、「悪魔(敵)」と「天使(味方)」である。
「悪魔」の声はうるさいほど聞こえてくる。あまりにも強く、しっかり聞こえるので、その言葉に促されて負けてしまう人間が多いのだ。たとえばやりたくない仕事を続けている中、「辞めちゃダメ、金どうすんだよ!」とか、「家族がいるだろ、みっともね~だろ!」とか。。。

しかし、静寂のなかで一度、耳を澄ましてみよう。「天使」の声は小さいし、遠慮がちに聞こえるが、ものすごく自身の「癒し」をたすける力を持っている。たとえば、その声は、「自分に正直になって、転職しなさい!」とか、「かっこつけることは無い、家族はいつも味方なんだから」とか。そしてこの小さな声こそが自分を幸せに導いてくれる本当の声なのだ。

悪魔は天使の声を掻き消すように常に存在している。
その言葉に、「No」といえるようになったときにこそ、自分自身の幸せをつかむ事ができるのだ。

そもそも、人生に意味などない。だから、恐れるものは何も存在しない。「恐れ」を生み出しているのは、あくまでも自分の想像の中、頭の中でしかないのだ。一番大事なのは、幸せに生きる事。ストレスを抱えながら死んでいくことは無い。無理もすることはない。そして、「幸せ」を覆す全ての言葉に「No」といえるのは他でもない自分自身だけだ。
離婚がどうした、転職OK、浪費が何だっていうんだ!天使の声を聞いてみたら、全てがいいほうへ導かれていることに気が付く。他人からみたら、それは「自分勝手」に思われることでも、結局他人には、自分の幸せは作れない。つまり、その小さな声を聞いて、納得のいく決断をすれば、全てが結果オーライなのだ。
だから、勇気を持って「No」と言ってみよう!もっともっとすばらしい道がその先に広がっているのだから!
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by shania2004 | 2004-11-24 23:52 | Thoughts
::: 【Dualな考え方】と【実践方法】 :::
仕事と生活にかける比重の違いについて、4人の方がいらっしゃるとする。

Aさん(女性)
仕事:90%/私生活10%

Bさん(男性)
仕事:30%/私生活:70%

Cさん(女性)
仕事:50%/私生活:50%

Dさん(男性)
仕事:100%/私生活:0%

A、B、C、Dさんにとって、それぞれが仕事と生活にかける比重の割合が違う。これは、一日24時間中どれだけの時間をそれぞれに費やしているかということだけでは判断できない。たとえば、自分の中での思い入れに関する割合でもあるのだ。

仕事にかなりの比重を置いているAさんやDさんにとって、おそらくBさんやCさんのような考え方は「ナンセンス」かもしれない。

ではBさんやCさんにとってはどうだろう。「仕事ばっかりで、人生楽しんでない」と思われてしまう。

このA&DさんとB&Cさんの考え方には根本的な違いが発生している。
まず、お互いの価値観を基準に「比べ」、良し悪しの「判断」をお互いがしている事が原因として考えられる。
このような場合、お互いがお互いを敬遠しあったり、けなしあったり、または「無視」という、一見、非暴力的にみえる「精神的暴力」を使いあったりする。

普通、人間は自分の基準しか知らない。それは生まれ育った環境であったり、また文化や習慣の違いだったり、様々な要因からその人「個人の基準」が形成されるから仕方ない。

しかし、この違いを認めない人たちには様々な問題が発生してしまう。それは「コミュニケーション」問題だったり、「人種差別」であったり、「民族差別」であったり、「男尊女卑」であったり、「女尊男卑」だったり・・・。

「個人の基準」を強く持つ人間で、かつ、ほかの「個人の基準」を認めない人たち、あるいは、様々な問題を抱えている人たち、視野を広げたい、自分を傷つけずに相手を理解したいと思っているあなたに、ぜひ「Dualな考え方」というのをおすすめしたい。

【「Dualな考え方」実践方法】

1.自分は優れている、劣っているという考えをやめる。

2.全く同じ人間は存在しないのだから、他人と自分との「相違」を素直に認め、受け入れる。

3.自分とかなり「相違」している人間とのコミュニケーションでは、自分が「どう思うか」ということより、「どう感じるか」を伝えるようにする。「どう思うか」的言い草では、他人の意見を「受け入れない」という態度にとられてしまう。

4.相手に自分の違いを理解してもらうということよりも、相手の違いを理解しようと試みる。

5.相手とのコミュニケーションで自分が「傷ついた」と感じたら、なぜ傷ついたと感じるのか、その原因が「2」を否定する事からきていないか、考える。


Dualな考え方を始めたころは、すこし苦しいと感じるかもしれない。なぜなら、自分自身の「毒」というものがあからさまに、みえてくるからだ。でも、この「毒」はやがて「薬」となり、自分自身を癒してくれる特効薬にもなるのだ。
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by shania2004 | 2004-11-21 10:53 | Thoughts


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